十字の園 誕生秘話
日本で最初の特別養護老人ホーム
これは、1960年前後の創立当初、日本でまだ老人福祉法が制定されていない頃のこと。
当時は生活に困難を抱える高齢者を支える仕組みはありませんでした。
十字の園が認可を受け、高齢者福祉の機運が高まる中、当施設をモデルとして老人福祉法が制定された歴史があります。
高齢者介護の歴史の幕開けとなった十字の園の、不思議な出会いと慈愛に満ちた誕生秘話をお話します。
戦後の日本の復興のために
ドイツのプロテスタント教会の奉仕団体「ディアコニッセ母の家」から、復興支援のため聖隷保養園(現 聖隷福祉事業団)に5名のディアコニッセ(奉仕女)が来られました。
ディアコニッセの一人ハニ・ウォルフさんが、湿度の高い日本の厳しい暑さを乗り切るために涼しく過ごせる場所を探していました。当時、聖隷保養園 聖隷厚生園次長で、後に十字の園初代理事長になる、鈴木生二さんの出身地の渋川に良い土地を見つけ、相談すると、お友達の方が土地を提供してくださいました。
その土地に小屋を建て、何年か浜松と渋川を行き来する中で、一人で寂しそうに寝ているお年寄りの姿を見ました。当時は、家の人が仕事に出てしまうと、寝たきりのお年寄りは、行き場がありませんでした。行き場のないお年寄りの自殺は大きな社会問題となっていました。
ある日ハニさんが小屋で休んでいると、雨が激しく降って来て嵐になりました。裏山が崩れ大きな石がゴロゴロと落ちてきて、ハニさんは怖くて必死で祈りました。「神さま、私は何もできない人間です。どうして神さまは、私を日本に送って下さったのですか。どうぞ教えてください」と。祈りながら疲れて眠ってしまいました。
ハニさんは夢をみました。夢の中で一人のおばあさんが泣いていました。そこに立派な男の看護師さんが来て、丁寧に医療処置をして何も言わず去って行きました。おばあさんが泣き続けているので、ハニさんは「どうして泣いているのですか?」と。おばあさんは「誰も私の話を聞いてくれない」と言われ泣き続けます。ハニさんは、心を砕いて耳を傾けてお話を聞きました。
するとおばあさんは、とても明るい笑顔になり、喜ばれました。夢から覚めたハニさんは、一人で寂しく寝ているお年寄りのために、神さまは私を日本に送って下さったと、自分の使命として受け止めました。
使命に押し出されたハニさんは、祖国ドイツに帰り、教会を廻り寄付を募りました。日本から持って行った着物を着て日本の文化と窮状を伝えました。当時で600万円の寄付が集まりました。土地は聖隷保養園から譲り受け、寄付金 で老人ホームの建物を建てる事ができました。
法律も制度も無い中に手探りで始められた老人ホームの歩みを、ハニさんは「神さまの力の大きさで、働く人みんなキリストの十字架の下だけ一つになって働く団体にしたい」と、十字の園は聖隷保養園から枝分かれして始まりました。
こうして十字の園はキリスト教精神により始まり、現在に至っています。「夕暮れになっても光がある」と言う聖書の言葉を理念に掲げ、お年寄りも、障がいのある人も、どんな人でも一人ひとりの居場所が用意されている。地上の生涯を終えてもなおそこにあなたの居場所があると言う希望を伝えたい。これが十字の園の使命です。
その思いが理念に込められています。自分たちが失望の暗闇の中にある人たちを心から大切に支援することで、その事を伝えていこう。これが十字の園の使命です。
「十字の園」(十字架の下にある園=天国を表す)と言う名に示されています。